小高観光協会

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相馬野馬追(そうまのまおい)


令和3年度相馬野馬追の開催内容について

令和3年度相馬野馬追の日程は、現段階で未定です。
詳細が決まり次第、こちらでお知らせいたしますので、何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。



 相馬野馬追は、相馬中村神社・相馬太田神社・相馬小高神社3つの神社の祭礼として、雲雀ヶ原ひばりがはら祭場地を中心に旧中村藩領各地で開催され、おし、御行列おぎょうれつ甲冑競馬かっちゅうけいば神旗争奪戦しんきそうだつせん野馬懸のまかけなどを行います。
 その起源は、伝えによれば今をさかのぼること一千有余年の昔、相馬氏の遠祖とされる平将門たいらのまさかど下総国小金ヶ原しもうさのくにこがねがはら(現在の千葉県流山市付近)に野生の馬を放して、野馬を敵兵に見立て追う軍事練習として、さらに毎年捕らえられた野馬を神馬しんめとして、神前に奉納した神事に始まったと言われています。
 その後、相馬氏は、鎌倉時代より幕末までお国替えのなかった希少な名族として、元亨三年(1323年)頃、奥州行方郡(現在の南相馬市)に移り住んでからも、代々の相馬領主が明治維新までこの行事を連綿と続け、現在でも総大将は相馬氏の子孫が受け継いでいます。
 昭和53年5月22日 国の重要無形民俗文化財として指定されました。

歴代相馬藩侯墓前祭れきだいそうまはんこうぼぜんさい

相馬家菩提寺である同慶寺において、相馬野馬追に出陣する騎馬武者が、武運長久ぶうんちょうきゅう武勲ぶくんを祈願します。
御霊屋前の礼螺
墓前祭式典

火の祭

 昔、お神輿や騎馬行列が雲雀ヶ原祭場地より帰るころ、住民が沿道に提灯や松明をかざして慰労の意を表したのが始まりです。
 このことをヒントに、1892年(明治25)年、祭りの気分を一層もり上げるために、「火の祭」が考案されました。
 当時は小高神社から見渡せる丘陵や田のあぜ道に、灯油を入れたホッキ貝を棒にぶら下げて並べ、さらに行列が小高神社に到着するのを合図に、数百発の爆竹や花火を打ち上げました。
 火の祭は、このとき以来100年余り続き、花火打上場所周辺の田んぼのあぜ道や前川の土手に、点々と並べられたかがり火(火の玉)を灯すと、幻想的な風景が浮かびあがり、この後、一面に灯ったかがり火の中から、花火を打ち上げています
火の祭

野馬懸のまかけ

 相馬小高神社境内で行われる野馬懸は、多くの馬の中から神の思召おぼしめしにかなう馬を捕らえて神に献ずる神事であり、他はまるで変わってしまった中で、この野馬懸だけが本来の祭の本質を残しています。 昔、野馬追当日、原町区萱浜かいはま巣掛場すかけば木戸から追い出された野馬の群を追い、小沢こざわの野馬道を通り、旧小高城跡に設けられた竹矢来たけやらいに追い込んだという故事に基づき、現代の行事は野馬の追込みから始まっています。
 午前九時過ぎに祝詞奉上のりとそうじょうがあり、今日の祭りに仕える御小人おこびと達十数人が御祓おはらいを受けます。白鉢巻、白装束しろしょうぞくで、竹矢来に入った馬の中から屈強な馬を見定め、竹竿に藁束わらたばをつけた「駒とり竿」を御神水おみたらしに浸し、それを馬の背に打ちかけ、御小人総がかりで素手で捕えます。荒れ狂う捍馬かんばを捕えることは危険を伴うもので、瀕死ひんし怪我けがを負った御小人にはすかさず御神水おみたらしをかけると、たちどころに蘇生そせいするといわれています。
 第一番に捕えた馬は、地域の平安の祈りを込めて神馬しんめとして神前に捧げ、他の馬は駒ぜりによってせり落とされ、観衆からの拍手喝采を浴びます。
 この野馬懸をもって、『野馬追』のすべての行事が終わります。