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半谷清寿(はんがいせいじゅ)

半谷清寿

 実業家 安政5(1858)年~昭和7(1932)年
 主な著書『将来之東北』『養蚕言論』『養蚕術』『官民調和策』

 安政5(1858)年、相馬藩小高郷(現南相馬市小高区)大井の郷土侍、半谷常清の長男として生まれました。
 8歳の時、金性寺寺子屋に入門し、明治4(1872)年、原町の商家に丁稚見習い奉公を始めます。
 その後、明治8(1875)年、錦織晩香塾(にしごりばんこうじゅく)に入門し、明治9(1876)年には三春師範学校入学、卒業と同時に安達郡訓導職に就き、義務年限が終わるとすぐ辞任しました。それは、明治5(1872)年の徴兵告諭、翌明治6(1873)年の徴兵令施行の問題があり、実業家になって郷土のために尽くしたいと深く心に決めた実業人としての初志を貫く道のため、兵役を逃れるためでした。当時は、訓導職に就くことにより、兵役が免除されておりました。
 明治12(1879)年、小高に戻り酒造業を開業して実業家となり、いよいよ社会的に実業人としての時代に入り、明治17(1884)年、蚕談会を組織し、大井に養蚕研究室を設けます。
 明治18(1885)年には、福島県会議員となり、翌明治19(1886)年、小高に相馬織物会社を設立し、小高羽二重を初めました。
 明治24(1891)年以降は融資の画策も思うように進まず不況に陥りましたが、明治32(1899)年の小高銀行創立により、羽二重市場の金融の道が開け、その後相馬各地に羽二重業が広がりました。
 前後しますが、明治27(1894)年に日本鉄道会社へ、常磐線の敷設権が与えられ、開通に向けた土地買収が不当に安価であり、それに対し清寿は、立ち向かいました。そのため、明治30(1897)年までの間に暴徒に襲撃を受けるということもありました。
 その後、明治37(1904)年相馬精錬株式会社を設立、続けて明治39(1906)年「東北機業」を設立、大正2(1904)年には小高銀砂工場創設と、清寿の業績は多方面でありましたが、何と言っても相馬羽二重業は代表的業績であると言えます。
 また清寿は、明治45(1912)年から3期12年にわたり、衆議院議員を務めあげ、政治家としても活躍しました。
 さらに清寿は、相馬野馬追の「火の祭」を考案しました。その背景には、雲雀ヶ原から騎馬行列が帰るころ、沿道に松明や提灯をかざして慰労の意を表す習わしをヒントに、今もなお百年余り続けられている郷土のまつりです。
 今は、東京電力(株)福島第一原発事故により立ち入り禁止となっていますが、双葉郡富岡町にある夜ノ森公園の桜並木は、明治34(1901)年に清寿が理想の村づくりを求め、不毛の原野に入植し、開拓した記念に300本の桜を植樹したものです。

参考資料『小高町史』、『おだかの人物』

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